福井を歩く。恐竜の足あと、そばの香り、赤レンガの記憶

こんにちは!Tomです。

今回の旅の舞台は、石川・金沢から車を走らせて向かった福井県。 しっとりとした金沢の風情を後にして、晴れ渡った空とともに始まる新たな道中です。

福井と聞くと、「恐竜?」「カツ丼?」という反応が返ってくることが多いのですが、それだけじゃない。 海と山のめぐみに囲まれた、滋味深い場所なんです。

今回は、そんな福井での一泊二日の旅を記録として残してみたいと思います。


金沢から福井へ、のどかな車旅の始まり

金沢駅を出発し、レンタカーで南下することおよそ1時間半。 国道8号線を通って、徐々に景色が変わっていくのが楽しくて、思わず途中で車を停めて写真を撮りたくなるポイントがいくつもありました。

田畑が広がり、風車がのんびり回り、道の駅では地元の人が朝採れの野菜を売っていたり。そんな素朴な風景に、なんだか心がほどけていきます。

ちょうどお昼時に福井市内に入り、さっそく腹ごしらえをすることにしました。


越前おろしそばとミニソースカツ丼、ダブルのご馳走

やってきたのは、福井駅近くの老舗そば屋さん。 注文したのは、「越前おろしそば」と「ミニソースカツ丼」のセット。

まず出てきたおろしそばは、見た目は非常にシンプル。 透明感のある太めのそばに、たっぷりの大根おろしと刻みネギ、かつお節が乗っているだけ。でも、これが本当に沁みる味なんです。

福井のそばは、そば粉の割合が高くて香りが強いのが特徴。 冷たい出汁をかけて、大根おろしと一緒にツルっと啜ると、口いっぱいに爽やかさが広がります。大根の辛味が程よく、食欲をさらに刺激してくれます。

続いて登場したミニソースカツ丼は、ふわっと甘いソースがしみた薄切りのカツがごはんの上に乗っていて、まさに“ごはん泥棒”。

福井のソースカツ丼は、卵でとじないのが基本。昭和の初めに洋食文化から生まれたスタイルで、甘辛ソースが特徴です。

さっぱりとしたそばと、こってりとしたカツ丼。 このバランスが最高で、まるで福井の「山と海」を両方味わっているような気分になりました。


恐竜博物館で“時の重さ”を感じる

お腹を満たした後は、福井が世界に誇る名所のひとつ、「福井県立恐竜博物館」へ向かいました。

車で1時間ほど、山あいの勝山市へと入っていくと、突如として現れる巨大な銀色のドーム。 それが恐竜博物館です。

中に入ると、まず目を奪われるのが、実物大の恐竜の骨格標本。 なかでも、ティラノサウルスとトリケラトプスの対峙する展示は迫力満点で、思わず足が止まりました。

常設展示では、実際に発掘された福井産の恐竜化石がずらりと並び、「フクイラプトル」「フクイサウルス」など、地元名がつけられた恐竜たちもいて、ちょっと親近感が湧いてきます。

化石のコーナーでは、岩を削る様子や発掘調査のレポートが映像で紹介されており、「地層を読む」ことの大切さをあらためて実感。

“数千万年という時間を、土の中から手繰り寄せる”という作業には、ロマンだけでなくものすごい忍耐力と想像力が必要なんだなあと、しみじみ。

小さな子どもたちの目がキラキラしていたのも印象的でした。


敦賀へ移動、夜のまるさん屋で地魚を堪能

博物館を後にして、車で1時間半ほど南下し、敦賀市へ。

海に面したこの町では、やっぱり魚を食べなくちゃ始まらない。
ということで、訪れたのが『まるさん屋』。

地元の漁港で揚がったばかりの魚をその日のうちに提供してくれるお店で、観光客だけでなく地元の常連さんにも愛されているそうです。

まず注文したのは、「焼きサバ寿司」。
炙ったサバの香ばしさと、酢飯のほのかな甘さが絶妙。脂がのったサバが口の中でとろけていきます。

次に、「バッテラ」。関西風の押し寿司で、こちらも酢でしめたサバが主役。厚みのある身と昆布の組み合わせがクセになります。

そして、ちょっと珍しいのが「へしこ刺し」。
へしことは、サバをぬか漬けにして熟成させた福井の伝統保存食。そのまま食べるとかなり塩辛いのですが、刺身状に薄く切って食べると、日本酒との相性が抜群なんです。

この夜の日本酒は「黒龍 イッチョライ」。
福井県永平寺町の銘酒で、“イッチョライ”は福井弁で「一番良いもの」「一張羅」を意味する言葉。
軽やかな香りとすっきりした口当たりで、脂の多い魚とも喧嘩せず、見事な調和を見せてくれました。

食事を終えて、酔いをさましながら宿への道を歩いていたときのこと。
ふと見上げると、歩道沿いに銀河鉄道999のキャラクターたちが立ち並んでいました。


夜の街角で、銀河鉄道999と出会う

メーテル、鉄郎、そして車掌さん。ブロンズ像として再現された彼らの姿が、夜の静かな街角にぽつぽつと佇んでいます。

敦賀は、原作者・松本零士氏の世界観とゆかりのある街として、こうしたモニュメントを整備してきたそうです。

実際、敦賀は鉄道とともに発展してきた歴史ある“交通の街”。
明治から昭和初期にかけて、外国との玄関口としての役割を担ってきたという誇りが、こうしたアートの形でも街に息づいているのです。

星のように並んだブロンズ像の前で、しばし足を止めて夜風に吹かれました。

「旅」という言葉が、単なる移動じゃなく、想像や時間を超える力を持つこと。
そんなことを、銀河鉄道の彼らがそっと教えてくれた気がします。

大満足の夜ごはんと、思いがけない出会いに心が満たされた夜でした。


翌朝の港町を散歩して

朝目覚めると、雲ひとつない青空。 せっかくなので、朝食の前に海沿いを少し歩いてみることにしました。

港のあたりは静かで、波の音とカモメの鳴き声が聞こえるだけ。 前日の夜とはまた違った表情の敦賀が、朝の光の中でゆっくりと動き出しているのが感じられます。

赤レンガ倉庫へ向かう道すがら、古びた漁具が並ぶ路地や、地元の人が散歩する姿を見かけて、ここでの日常を少し垣間見た気がしました。


赤レンガ倉庫とムゼウムで歴史にふれる

敦賀の赤レンガ倉庫は、明治38年に建てられた実際の保税倉庫を改修したもので、今では観光施設として生まれ変わっています。

中はクラフトショップやカフェ、そして「敦賀ムゼウム」という展示エリアがあり、街の歴史をさまざまな角度から知ることができます。

ムゼウムでは、敦賀港が「日本の玄関口」として栄えていた時代の資料が豊富に展示されていました。 中でも印象的だったのが、「ポーランド孤児」や「ユダヤ人難民」といった海外からの渡航者たちを受け入れていたという話。

杉原千畝の命のビザを手にした人々が、シベリア鉄道を経由して敦賀港にたどり着き、ここから日本各地へと旅立っていったそうです。

その足跡を、古い時刻表や船の模型、当時の写真で辿る展示に、思わず見入ってしまいました。 歴史の重みと、人のつながりが、静かに語りかけてくるようでした。


鉄道資料館で、敦賀の交通の記憶をたどる

赤レンガ倉庫から徒歩数分の場所にある「敦賀鉄道資料館」へも立ち寄りました。

この建物は、旧敦賀港駅舎を復元したもので、外観はレトロで瀟洒な雰囲気。中に入ると、昭和初期の駅の構内が再現されており、当時使われていた切符や制服、信号機などが丁寧に展示されています。

特に印象的だったのが、欧亜国際連絡列車に関する資料。 これは、敦賀港からウラジオストク、シベリア鉄道を経由してヨーロッパへとつながる“世界への窓”だった路線。

当時の旅券や荷物票、車内食のメニューまで残されており、人々の移動と夢がこの小さな港町から始まっていたことを物語っています。

案内のスタッフさんの話によると、今でも年配の方が「あの列車に乗ったんだ」と懐かしそうに話してくれることがあるそうです。

鉄道の歴史をたどることは、ただ乗り物を知るだけではなく、そこを通った人々の想いに触れることでもあるんだなと、心があたたかくなりました。


旅の終わりに:静けさの中にある、確かな記憶

こうして、1泊2日の福井の旅は幕を閉じました。

派手な観光地ではないかもしれません。
でも、確かな歴史があり、人々の暮らしがあり、受け継がれてきた味がある。

恐竜の骨に時を想い、港の寿司に土地を感じ、赤レンガに刻まれた記憶に耳を傾ける。
この旅では、そんな「福井の静かな声」にたくさん出会えました。

歩くたびに、香りや音や温度が身体に染み込んでいくような感覚。
それこそが、土地を味わうということなのかもしれません。

次は、もっとゆっくりと時間をかけて、越前海岸や永平寺のあたりも歩いてみたいなと思いつつ。
お土産として福井を代表する和菓子である羽二重餅を買って、帰路につきました。

それではまた!

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